小野瀬慶子『フィッティングルーム 〈わたし〉とファッションの社会的世界』

〈ファッションをつくる〉人びとの、生の呼吸。

手応え、喜び、信頼、希望。あるいは違和感、憤り、怒り、絶望――。ファッションの社会的世界に足を踏み入れてから、自ら創業した会社を離れるまでの30年間、〈わたし〉はファッションに何を求め、何をつくり出そうとしてきたのだろう。そこから見えてくる、〈もうひとつの創造〉の可能性とは? ファッションを支配するシステムへの葛藤と挑戦をつぶさに描き、個人的な経験を43の光景(ザ・シーン)によって世界にひらく、オートエスノグラフィー。

「フィッティングルームから出てきた女性の頰が、ピンク色に高揚する瞬間に出会ったことある? ほんとうに、最高なの」(シーン19 フィッティングルーム)

 

本書より

冒頭3章分と自著解題の3ページ分をためし読みしていただけます

歩くモデルを目で追いながら、〈わたし〉は繰り返す。
「ところで〈わたし〉はこれを着たい?」
「これが似合う人が思い浮かぶ?」(シーン9 ショーとヒエラルキー)

〈わたし〉が話しかけたいのは彼女たちだ。彼女たちに話しかけ、つながり、仲間になりたいから服をつくるのだと思う。刺激と記号のあいだをすり抜け、何が本当に必要なのか、何が本物なのかを見抜く。彼女たちが見ているのは、それは何か、だけではない。あなたは誰で、何をしようとしているのか、なのだ。(シーン20 〈わたし〉たちのラグジュアリー)

プレスオフィスの女性オーナーは続けて〈わたし〉に言った。
「デザイナーにはカリスマ性がいるのよ」
このプロジェクトの担当になった彼も、ニヤリとしながら〈わたし〉に言った。
「〈あなた〉を売ります」
〈わたし〉は強烈な違和感を覚えた。(シーン29 デザイナー神話とスペクタクル)

影響し合い、ともに変化しながら意味を重ね合わせていく手応えと、そのプロセスに芽吹く喜び。〈ファッションをつくる〉実践を通して〈わたし〉が希求するのは、これらをつくり出す「もうひとつの創造」なのだ。(シーン31 もうひとつの創造)

忘れ物はないはずだ。自分で創業した会社と別れるこの光景が現実なのか、感覚がないままオフィスを出てエレベーターのボタンを押した。(シーン39 別れ)

襟ぐりの端と端を親指と人差し指でつかんで引き上げ、頭を一気にくぐらせる。柔らかい感触が額、鼻先、頰を通り過ぎ、首元に落ち着く。肩先と鎖骨の下のあたり、肘の内側にも柔らかさが優しく触れている。(シーン40 身体のその先にあるもの)

「そして、彼女たちの幸せな時間にその服が一緒にあったら……」(シーン42 久しぶり)

【自著解題より】
1 なぜ〈わたし〉は〈ファッションをつくる〉のだろう

この問いが〈あなた〉と出会うために『フィッティングルーム』は生まれた。
本書は、〈わたし〉という〈ファッションをつくる〉実践当事者が経験したファッションを取り巻く社会的世界のできごとにくわえて、言葉にすることをためらってきた多くの感情や感覚を記述した「オートエスノグラフィー」である。グローバル化とネオリベラリズムが拡大し、ファッション産業が資本の論理にのみ込まれ変容していった1990年代から、コロナ禍にあった2021年までのできごとを、43の「光景(ザ・シーン)」(Crapanzano 2006)として描いている。そこには、手応え、喜び、信頼、希望、あるいは違和感、憤り、怒り、絶望、さらには簡単に言葉を与えることができない複雑な、ときにはひりひりとした感情が生々しく埋め込まれている。

目次

1 小さな感動/2 世界へ流れ出す/3 世界とのかかわり/4 海外ブランド信仰への違和感/5 自分たちで価値をつくる/6 働く場所を決めること/7 バイヤーの仕事/8 資本主義完全支配前夜/9 ショーとヒエラルキー/10 女性による女性のための店/11 9.11 2001年/12 つながる/13 破壊のために戦わない、つくるために戦うデザイナーたち/14 プレスプレビュー/15 外から見えたもの/16 共感とコミュニティ/17 ウェブサイトに掲げたビジョン/18 1号店オープン/19 フィッティングルーム/20 わたしたちのラグジュアリー/21 3.11 2011年/22 3.11 2011年とそれから1ヶ月/23 成長への誘惑/24 拡大とネットワーク/25 不穏なパリ/26 パリ展示会/27 世界での競争の始まり/28 小さなプレゼンテーション/29 デザイナー神話とスペクタクル/30 インスピレーション/31 スタイリストの仕事とその値段/32 クリエイティブクラスの生態/33 クリエイティブクラスとそのシステム/34 ショーへのハードル/35 ショーステイタス/36 王国のディストピア/37 もうひとつの創造/38 別れ/39 「このドレスは今日会う人へのわたしの想いなのです」/40 身体のその先にあるもの/41 35度の猛暑とセミの声、冬のコート/42 久しぶり/43 未来
自著解題――〈わたし〉の経験を意味づけ、もうひとつのファッションの社会的世界を想像し、創造する
謝辞

オートエスノグラフィー(autoethnography)

社会学や人類学で近年注目されている、自分自身を対象とする研究方法のひとつ。自らの経験を文化的・社会的な文脈の中でたどり直し、記述する。表現のスタイルはさまざまで、物語の形をとることも多い。 

『フィッティングルーム』は、〈わたし〉の経験をオートエスノグラフィーとして一人称で記述することにより、経験がもつ主観的な意味から〈ファッションをつくる〉実践の意義とその社会的側面を明らかにすることを目的としている。(自著解題より)

著者略歴

小野瀬慶子(おのせ・けいこ)
慶應義塾大学商学部、文化服装学院ファッション工科専門課程アパレルデザイン科卒業。伊藤忠ファッションシステム、ユナイテッドアローズをへて、2006年にYOUR SANCTUARYを設立。翌年「ザ シークレットクロゼット」1号店をオープンし、国内外のブランドと自社コレクションを販売。16-17年秋冬シーズンよりウィメンズコレクション「シクラス」を立ち上げ、パリのショールームを拠点に世界各地の小売店に販売。パリ・ファッションウィーク公式メンバーとして、18-19年秋冬シーズンよりプレゼンテーションを、19-20年秋冬シーズンにショーを行う。19年、同社代表取締役を退任。22年、慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。現在、同後期博士課程在籍。専門はファッションの社会/人類学。

本書の概要

書名 フィッティングルーム ―― 〈わたし〉とファッションの社会的世界
著者 小野瀬慶子
ブックデザイン 帆足英里子(ライトパブリシティ)
発行日 2023年6月1日
四六変型判、並製、344ページ
ISBN 978-4-908251-17-7
価格 本体2200円(税別)

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